第一部 ジェイムズとフッサール


第二章 フッサール現象学の一考察

Ⅰ フッサールの危機意識

 本章はフッサール現象学のきわめて限定された部分についての一私見である。この部分がフッサールの哲学の核を論究しているかどうかについては、フッサール現象学に対しては初学者である私には恥ずかしくも確信がないのであるが、しかしながらこの部分が私にとって興味深いのは目下の私の研究対象であるジェイムズ経験論を理解する上での素材を提供していると思うからである。
 その意味で、はじめに断っておくのであるが、本章においては、可能な限り、私はフッサールに即しての論議が展開されるべく進めようとしているのであるが、私の念頭には絶えずウイリアム・ジェイムズの姿がちらついている。従ってたとえ私がフッサールに対して記述的態度でいるつもりであっても、なんらかの先入観をもってフッサールや彼の考え方を見ていることになるのは避けられない。
 フッサール研究家にとってはこのような学的態度は避けられるべきかもしれない。そうかと言って私は、今のところ、この自分の態度に対してエポケーをするほどに回心の能力もない。それ故に彼らから誤解に満ちたフッサール解釈をしているとそしられたならば、あえてそれを甘受しなければならないだろう。
(1)
 幸か不幸か、今日、フッサールは現代の様々な思考潮流のルーツにされている。これも彼の唱えた「現象学」が思考上の端緒にされうる特性をもち且つ応用されやすい地平性を伴っているからであろう。
 私の思うに、おそらくフッサールは自分の哲学的人生においてたった一つのことが言いたかったのに違いない。そのこととは、あらゆるものを「単なる事実学」
(2)に還元する近代人の思考習慣がいかに誤っており、そのために近代人は己れの生の有意味性までも自ら放棄してしまっているという思いである。
 この警告的な思いは彼の晩年の著作『ヨーロッパの学問の危機と超越論的現象学』(以後、『危機』書という)において一種のアジテーションの如くに具体的に展開されたのであるが、しかしフッサールは彼の哲学的人生のはじめから一貫してこの危機意識をもっており、そしてその超克のために呷吟し、かの有名な「超越論的主観性」を模索し深化していったと言えないだろうか。
 もっとも、彼以後、この「超越論的主観性」が安じられる「約束の地」
(3)が、フッサールにおけるその純粋性を失い、変様させられていっている事実も、また忘れられてはならない。しかしそれはフッサール現象学のもつ宿命であり、フッサールに味方した言い方をすれば、他の社会的歴史的文脈をもった超越論的主観性によって、フッサール現象学の地平部分であったものが顕在化された結果にすぎない。
 そう言った意味においては、私のこれからの論議も、仮令誤解の上に展開されたとしても、現象学運動のほとんど見えざる地平の一つとして役立てたいと思っている次第である。(もっとも、誰かの解釈の二番煎じであったりして全くのお笑い種となっているのかもしれないが。)

Ⅱ 自由の主体としての人間

 まず、私は私に固有の意向に沿って、あえてフッサールを「社会イデオローグ」として見、その彼の問題意識と言ったものが何であり、その狙いがどこにあるのかに視点をおいて、一つの仮説を展開してみたい。即ち私があえて注目したいフッサールの概念とは、『危機』書において彼が定義した「自由の主体としての人間」
(4)である。私はこの概念に対して焦点をあて、それに私なりの特別の意味をもたせ、それに基づく人間観は、彼がいかなる現象学的諸主張を展開するに際しても、論究的に顕在化させなかった場合であってさえ、たえずその地平部分としてあったし、それどころか、この人間観そのものがフッサール現象学を生みだす地盤そのものであったのではなかっただろうか、と考えてみたいのである。
 そこからフッサールのすべての思想が、ルネッサンスよりはじまる近代的人間が中世的先入観を排して自らの存在基盤を求めて訴えたところの「自由人」
(5)のイメージを彼の言う「自由の主体としての人間」として再確認せんものと目論まれていたとも受けとられるし、又われわれ近代人にとっていつのまにか自明とされてしまったこの「自由人」としての人間観を自己省察を通じて真に意味あらしめようとしていると考えてみたいのである。そしてこの彼の再確認が、図らずも、いわゆる近代哲学及びその根底にあるデカルト以来の二元論的思考方法に疑念を抱く人達の意向と軸を一にすることになり、フッサール現象学はその二元論的思考方法の超克のかなたに真に「自由人」の再生を意図する哲学的潮流の一つとなったと言えはしないだろうか。
 ところで、この「自由の主体としての人間」なる概念は、フッサールにあってはどのようなイメージでもって具体的に展開されていたのであろうか。『危機』書の冒頭部分にあたる第二節で、彼は次のように定義する。即ち「人間的な環境や人間外の環境への関係において、自由に決定する人間、自分や自分の環境を理性的に形成する諸可能性においては自由な人間」
(6)である、と。
 この定義は少なくとも言葉づらからとらえると、斬新なものではなく、むしろ常套的な考え方に属すると言える。が、フッサールにしてみれば違った意味で重要な意味を与えられていたと考えられる。というのは、ここで言われている自由とは他の近代人にとっては欲望を充足するための自由あるいは自然を支配するための自由であったのに対し、フッサールにとってはそう言ったことをなす己れ自身の固有性をあきらかにするための自由であったからである。
 もともとフッサールはそれまで「人間とは何か」の問い、いいかえれば人間学を哲学の主要なテーマにしてこなかったので、この「自由の主体としての人間」なる言いまわし方も、私の知る限りでは、『危機』書においてなされているのであり、そして少なくとも『危機』書において意味深い言いまわし方として使われているにすぎない。それはあきらかに徹底した思索の人であったフッサールもまた、せまりくる自分の現実的生の不安を感じるようになった晩年において、
(7)ようやく、人間的現存在が即ち単に物理的客体的存在ではない人間が、だからといって唯我独尊的な自我に基づいて生を営むのではなく、まさに「一つの共同体の地平の中で共同に生きる」(8)存在であり、そしてその歴史的継続性の中で文化的活動を行っているのだと認識するようになった一つのあらわれであると思うのである。
 とはいえフッサールが彼にとっては偶然的にも周辺世界から触発されたとはいえ、ついには「人間的現存の全体が意味あるのか、それとも意味ないのか」
(9)なる問を打ちたてるようになり、それによって「自由の主体としての人間」のイメージを再構築しようとしたことは、彼の哲学が彼なりの(それこそ超越論的といってもよいのかもしれないが)人間学へと発展しうる可能性を示唆しているとも言えよう。(10)
 もっとも、彼の人間学は合理主義者特有の楽観主義に支配されている。即ち当時彼に見えた人間の生活的危機とは人間的生そのものの危機であったというよりも、人間的生にともなう世界観の危機、彼のコンテキストに従えば、学問の、とりわけ哲学の危機であるとして受けとられている。
 フッサールにとって人間的存在ははじめから理性的動物としてあり、従って本来的には常に「自由の主体としての人間」存在としてあった。従ってまた、人間は与えられたものであれ、自ら形成するものであれ、いかなる環境への関係においても自由に関わりうる存在、即ち「なすことのできる存在」として信じられていたのである。先程も述べた如く、そう言った「自由の主体としての人間」のとらえ方自身、近代のオーソドックスな考え方を受け継いでいるわけだが、それはともかく、そこから人間的生の有意味性はそう言った本来的に「自由の主体としての人間」をたえず目ざめた状態にしておく、あるいは自己啓発を続けていく状態にしておくことにあるのだとする一種の啓蒙主義が、彼の心にあったと言えよう。
 それ故に、当面の人間的生活の危機に出会う状況の中でフッサールに直接的な形で芽ばえたのは、人間的生への意志あるいは努力が一時的に失われ、「自由の主体としての人間」の存在性が忘却の状態あるいは隠された状態になってしまったとする人間存在に対する現状認識であったと思われる。整理すれば、この現状認識は『危機』書及びその前の『ウィーン講演』において具体的に次のような二つの認識になってあらわれているのは周知の事実である。
 一つは、今日の人間的生活の危機、いいかえれば文化の危機は、人間と世界とを考察すべき諸学問に問題があったから生じたという認識である。この認識は次の認識に繋がる。即ちそれら学問が物理学的客観主義に災いされ、「事実学」としての科学になってしまった、そして諸学の学たる哲学こそその物理学的客観主義に対抗すべきなのに、それに加担してしまったという認識にである。
 二つは、しかしフッサールは哲学者としてはそれを哲学の破産とは考えたくなかったのであり、学問としての哲学に徹底さ、厳密さが欠けていたことにその危機の源泉を見ようとし、逆に事象をとらえるにあたっては厳密な哲学、自己を反省するにおいては徹底した哲学を浮きぼりにすることで、哲学の危機のみならず学問の危機、即ち人間と世界の危機から救う手がかりを得、現象学がその最後の仕上げをするという認識である。(さしずめ、これは今日の現象学者達には常識となっている認識だと思われるが。)
 ところでこれらの認識もまた、合理主義的楽観主義的な精神から生まれてきているのである。というのは彼にとっての「危機意識」は合理主義的思考の破綻形態として哲学的にあきらかにされうるものとしてすでに位置づけられていたのであり、その危機の状態が発生論的に解明されるというその過程を踏み、その始源を解明することでその危機の現実的な消滅を信じていたと受けとられるからである。
(11)それ故に何よりもフッサールにとって倫理的に重要な人間的態度とは、われわれ理性的存在者が本来的にもっている理性の精神を、従って哲学の精神ということになるが、それを怠惰なもしくは倦怠したものにすることではなく、自己形成に向けて自由に態度変更をなしうる目ざめた状態にしておくという、言わば「理性のヒロイズム」(12)を堅持することであったし、そのことを通じて危機の理解、従って危機の消滅が可能であると認識したのである。
 フッサールがこのような高踏的な発言をする根拠はどこにあったのか。逸脱する合理主義に対して、「真の合理主義」
(13)を真の学問として打ちたてることを絶えず希求してやまなかったフッサールではあったが、この時の彼は理性を自我の側からみて一つの能力として、即ちあのギリシャにおける理性的人間の課題であった「己れ自身を知る」能力として、あらたな思いで復権させる意向をことのほか強くもっていたからではないだろうか。いいかえれば理性とは「精神の真に普遍的で真に根源的な自己理解」(14)をする、あるいは了解するラチオとしての能力として彼は再確認したかったと思う。
 これは「己れ自身を知る」をいうことがルネッサンス期よりの「自由人」が考えているような、己れの欲望を充足するために「自己を客観的なものとして知る」ということでは断じてないとする彼の確信に基づいていたことはあきらかである。そうなると、フッサールが「根源的な自己」を理解する理性に一体いかなる働きを求めていたかがあきらかにされねばならなくなる。
 最初、フッサールはあらゆる存在(それは事物、価値、目的といった存在のすべてを指すのであるが)に意味を与えるという作用、いわゆる「意味賦与作用」を理性の働きの中心的なものにすえることで「己れ自身を知る」その知り方を求めようとしたと思われる。
 勿論、この考え方は例の有名なエポケーとそれに基づく現象学的還元の方法によって導出されてきているので、存在そのものは中和化されて、「現象」というものに変様されているわけであるが、同時にその存在は「存在すると思念されている限りでの存在」にされてしまい、そうなると「意味賦与作用」は唯我独尊的な理性の独善的構成作用となりかねなくなる。
 だがそれでは理性の作用の能動性について語ることになったとしても、直接に人間的生の有意味性を語ったことにはならない。そう認識したフッサールが、自己省察し自己了解する理性観を特に意識しだしたとき、すでにそこには、その理性をもつ人間的生が、従って認識的生が一種の受動性にさらされているという情態性を洞察していたと思われる。そういう事実にもかかわらず、フッサールにあっては、究極的には、人間的生は自らが自らに対して意味を与えているが故にその存在の意味があるということをあきらかにしたかったのであり、そのような人間的生を理解することが理性の課題であり、理性の責務であると言いたかったと思う。
 それ故に現象学的還元によって、理性が唯我の働きとして意味を賦与するのではなく、従って同時にノエマとしての対象が構成されてくるのではなく、人間的生の受動性を能動性としてとらえなおすことによってその生の有意味性を見ようとしたのである。言葉のもてあそびと言われかねないが、そうなると意味賦与もまた、受動性そのものを能動性として解釈しなおす、あるいはダブらせることであるとしてフッサールによってとらえなおされたと思う。
 さて話を戻すに、これらの理性観からも、少なくともフッサールの「自由観」が垣間見られると思う。彼自身が人間的生に関する「自由」について下した唯一の定義は次の如くである。即ち「個としての存在であれ普遍的な存在であれ、そう言った人間としての存在に理性的意味を与えうる人間の可能性のこと」
(15)、それが自由の意味するところのものであったのである。
 このとき理性的意味とは、先程述べた如く、根源的な自己理解あるいは自己了解の能力として、理性が人間的生の受動的能動性あるいは受容的自発性に有意味性を見いだすこととして受けとると、この自由観はより具体的なものになると思われる。従って「自由の主体としての人間」とは、そう言った可能性にあることを常に現実のものとしてたぐりよせていける人間の意であり、いつでも「己れ自身を知りうる」ために自らの意識の変更(Variation)ないしは変様(Modification)を通じてやむことなく自己省察をつづける存在であったのである。
 フッサールが「超越論的(transzendental)」なる言葉の意味を拡大させ、『危機』書の中でそれを次のように、即ち「すべての認識構成の究極の源泉に向かって問い戻そうとするための動機、己れ自身と己れの認識する生について認識するものが己れ自身を考えてみようとする動機」
(16)として用いていると述べているあの有名なくだりを思いおこすとき、彼の現象学の「キイワード」でもある「超越論的主観性」とは、まさに「自由の主体」としてある様を認識論的見地から述べたものであると考えられる。従って人間的生を考えてみた場合、「超越論的である」ということと「自由である」ということとを一種の同義語と見ることができる。即ち超越論的な状態でいる存在者が共同体の地平の中にいる人間存在である場合に、その人間存在が自己啓発に向かう状態にあることを指して「自由である」と言いえるのである。
 ところで、ここで注意されねばならないのは、現存在としての「自由の主体としての人間」が、いいかえれば現実的生を営む近代的人間が自由を人間的生の能力性(Vermöglichkeit)と見ているよりも、人間的生の目的として位置づけようとしているという点かもしれない。それ故にそのように考えられること自体が、フッサールにあっては現実的な人間存在が無責任にもすでに自由の正体ではありえなくなってしまっているとする危機意識が存していたことの証左となっているように思われる。
 自由の主体ではないということ、いいかえれば己れ自身を知りそれを了解する能力性を喪失してしまったと見るフッサールの根拠は、再三再四述べるように、近代の人間が、物理学的客観主義の様々な形態での歴史的優位性によって、それらがもたらす世界を客観的にして現実的に真なる世界と思いこむようになり、それと同時に己れ自身をも客体的なものとしてしか知りえなくなってしまったとするそう言った事態を本来的な人間的生における逸脱として判断する彼の倫理観にあったのはあきらかである。そしてそれ故に、フッサールの「自由」観について語るとき、自由と自己責任と自律なる三つの概念をセットにして考えねばならないという事態がここからも呑みこめるのである。
 他方、前にも述べた如く、人間存在におけるこの不幸な事態はあくまでも人間的生における単なる逸脱でしかなく、彼の別の言葉で言えば、超越論的主観性が理性の怠惰によって隠されているないしは自己忘却の状態にさらされているにすぎないとする認識はフッサールにあってはくずれていない。それ故に超越論的主観性をあらわにすること、超越論的主観性の側から言えば、自ら「目ざめること」が、「自由の主体としての人間」が本来の姿にたち戻る前段階の人間的行為として認識されたと思う。(ついでながら、この「目ざめること」もまた、フッサールにあっては受動性を能動性とする一形態であると見られていたと思う。)
 それはともかく、そのためにも彼の言う、「現象学的還元」ないしは「エポケー」
(17)が、いわば一種の偶像となっていた物理学的客観主義を破壊するための、別の言葉でいえば客観的諸学からの自由性を確保するための手段として登場してきたと思う。しかしながら、現象学的還元が単に「自由の主体としての人間」に還帰するための、それこそ一回きりの手段としてとられる態度変更としてあるのではなく、人間的生においては、流動する地平性としての「世界」の中で止むことなき意志の行為として遂行され続けているとして意識されたとき、まさに、その現象学的還元を遂行しえるということ自体が、人間存在を超越論的生としてその根源へと向かって理解しようとする過程の一つ、いいかえれば自我の側の自由なる変更において無限の地平性を見いだし、それに触れていく「自由の主体としての人間」の自己実現への過程であるとフッサールによって認識されたのである。このことが、フッサールの言葉で言えば、「超越論的主観性」が自らをあらわしたということになるのである。

Ⅲ 事象そのものに準拠することのもつ意味

 この点をよりよく理解するために、われわれは彼自身の用語の世界の中により深く入っていかなければならない。まず、フッサールが彼の哲学のスローガンとする「事象そのものへ」の還帰を唱うのはなぜなのだろうか。彼にあっては、われわれが単に素材に、主体の側に組して客体を容認したり、客体の側に組して主体を説明したりする図式性は、二次的な意味価値しかもたなかった。つまりそこでは二元論的思考が前提されているために、前者では主体の存在は心理的要請を受けた主観性としてすでに前提されているからであり、また後者では客体の存在は自明の事実として素朴に定立されているからである。
 フッサールが「エポケー」ないしは「現象学的還元」という操作方法を採用したのは、かかる図式性のもつ不徹底さを知らしめるためであった。これらの方法は「自由の主体としての人間」の陥った自己忘却的状態からの解放のため自由宣言であると同時に、自己省察を促す契機にもなり、自己啓発という形をとって本来的人間に還帰する唯一の手段としてフッサールによってわれわれに提示されたのである。
 それでは「事象そのもの」とは具体的に何を意味していたのであろうか。フッサールは「事象そのもの」に準拠すべきことを、たとえば『厳密な学としての哲学』において次のような形で述べる。「真の方法は究明されるべき事象の本性に従うべきであって、われわれ自身の予断や範例に従うべきではない。」
(18)
 この主張を字句通りに受けとる限り、たとえば彼の言う現象学的還元は、たしかに一つの態度変更なのであるが、実証主義的態度の一つであるという意味において別に目あたらしいものではない。もしそれが「完全に『関心をもたない』観察者」
(19)の行為であるとするならば、四つのイドラを破壊したF・ベーコンをはじめとするイギリス経験論者達の様々な学説を彷彿させるであろう。
 だがフッサールをして言わせれば、彼らこそ一方的に科学的世界を客観的なものとして不動たらしめ、そのことの故に自らが「自然的態度」を固持していることに気づかぬ先入観念の持主なのであった。というのは、彼らによれば、自らの意味する経験は事象そのものを与えてくれているものだと信じられていたからである。ところがフッサールにしてみれば、彼らは真に事象の本性に従っていたのではなく、心理主義的主観による「観念のおおい」
(20)を受けた事象を唯一の事象としていたにすぎず、それに従うことで客観的なものをあきらかにしうると信じていたのである。それは心理主義的主観にとって効用性をもたらす成果を生むかもしれないが、フッサールはそれこそ「自由の主体としての人間」の危機的状況と受けとったと考えてもよいだろう。
 これについては、さらに経験論に反対すると言われる合理論を支持する人達も同様であろう。彼らは経験論者達のとらえる事象をそのまま認め、そしてそれを客観化し、その成立の根拠を事象そのものとは無関係な捏造物、しかもフッサールに言わせれば所詮は「心的なものの自然化」
(21)以外のなにものでもない「自我」あるいは「意識一般」を通じてあきらかにしようとしたにすぎなかったのである。(22)
 それ故に、「事象そのもの」に準拠すべきだと言っても、フッサールにとっては、それは単に「経験し、認識し、本当に具体的に能作している主観性を明白なものとして打ち捨てている……素朴さ」
(23)に対する批判的精神に基づいており、従ってそこではまさに、「事象そのもの」に準拠すべく働いている主観性そのものもまた問われていたのである。そして「事象そのもの」の準拠によって、われわれの前に開けてくる根源的事実に出会ったとき、われわれは以下の悟りに到り着くのである。「客観的なものとして獲得されるすべての真理と……客観的世界それ自身とは己れ自身の、己れ自身の中に生成した生の形成物である。」(24)
 これら二例から、フッサール現象学において目論まれているものが単に観察者としての行為ではなく、自己自身を反省し、これまで隠蔽されていた超越論的主観性をあらわにするための態度決定でもある点があきらかにされるであろう。そして彼自身、これらの考え方を「最も徹底的な主観主義」
(25)として導きだそうと自ら言ってしまったところに、彼の現象学がある種の主観主義だとして粗雑に評価される所以のものがあったと言えるだろう。
 それはさておき、フッサールが「事象そのもの」への還帰を訴え、現象学的還元をそのための操作に使うとき、彼の念頭にあり、そして固持しつづけようとした態度は矛盾せる二つの心的構造に基づいているかに見える。一つは純粋に記述的であることによって日常的な実践行為を導出する思惑を一切放棄することであり、二つはその記述の対象が自分に対してあらわれているのは自分がそれに存在の意味を与えているからだとする新たな思惑をもつことである。
 これも、大雑把に解釈すれば、彼が客観主義と主観主義とを平然とオーバーラップさせていたことに起因する。その意味では彼は「二元論的な」考え方をものともしていなかったのであり、彼にあっては、この二つの心的構造はまさに彼の言う「超越論的主観性」のもとでは同一の地平に包摂せられてしまっていたのである。
(26)そのことを示す言葉が、ニュアンスの違いこそあれ、彼のすべての作品の中に点在している。それらはおおむね主観と客観とが相関関係にあり、それぞれがそれぞれの思考的相関者であるという主張をもっている点で共通している。
 ここにいたって、ようやくわれわれは「事象そのもの」とは何かを索る予備的考察を終えることになる。というのは、われわれがこの点を具体的に吟味するにあたっても現象学的還元の際における二つの心的構造の働きを無視することができないからである。一つの心的構造がもたらす態度が純粋に記述的なそれであるとするならば、「事象そのもの」について、われわれはそれをその心的構造に現前するなんらかの対象としてとらえることができるであろう。
 抽象的な言い方をすると、それは知覚作用としてそれ自体において現れてくるすべてのものを意味する。フッサールの言葉で言いかえれば、それは「観念のおおい」を受けない、いいかえればわれわれが記号や写像にとってかえる以前の「明証的所与性」、「純粋直観の絶対的所与性」
(27)としてあるものということになる。その意味ではそれはイギリス経験論者達には到底理解できない「事象」概念なのであった。なぜならば彼らにとっては「観念のおおい」を受けて立ち現れてくるものが根源的な事象であるとされていたからである。
 次に「事象そのもの」の事象性はわれわれの現前に無制約的に現象することにあるのではなく、もう一つの心的構造の制約下にあるということである。いいかえれば、「事象そのもの」とは現象学的還元を行うことによってはじめて可能的に現象するものとしての被制約性をもっているのである。
 これは「事象そのもの」の事象性とはわれわれのもう一つの心的構造の能作として構成されるの意なのである。その意味では「事象そのもの」とはわれわれに与えられるものであると同時にわれわれが与えるものである。この同時性を理解しうるのが、フッサールをして言わせると、「超越論的主観性」のみであるということになる。
 彼の考えに従えば現象学的還元以前の状態においては「事象そのもの」はそれ自体においては与えられず、われわれにとって超越的で「よそよそしい」事象としてすでに自明的に与えられ受けとられてしまっている。もしくはわれわれに内的であったとしても、それは、たとえばカントの物自体という如くの、人間の具体的生活からは決して基礎づけられない理念となって受けとられてしまっている。「事象そのもの」とは、どのような形態であれ、自然化された認識主観の単なる対象とはなりえないものなのである。それ故「事象そのもの」とはわれわれの生の直接体験とともにあるものなのである。
 これを言いかえると「事象そのもの」とはわれわれの体験の対象であると同時に体験そのものの相関項でもあるということになる。もちろんその場合、体験は現象学的還元がほどこされている体験であるので、フッサールの言葉で言えば「純粋体験」
(28)と言われるべき根源的生の事実を意味することになる。それ故にわれわれは「事象そのもの」については「生が視点に入ってくる」(29)のでなければ語りえないのである。
 そうなってくると、われわれはフッサールの意図する面白い「まわりくどさ」に気づくのである。つまり、われわれはつい先程までは「事象そのもの」に準拠するとはそれに即して語ることであり、それにも関わらずそれを構成することでもあるということを知った。客観的分析をほどこすまでもなく、それはわれわれの矛盾せる二つの心的構造に基づくかに見える。にもかかわらず、フッサールは彼独特の志向的分析によって、それらは一つの「超越論的主観性」の二相面に見える一元的な作用を示しているにすぎないと言いなおしているのである。
 もっともここでもフッサールに味方した言い方をすれば、われわれはこのようにもってまわった論理を展開しないでも、素朴に、生の体験とは元々そう言った事象性にあるものなのだと割りきれば、事は簡単でよかったのである。というのは、われわれは誰だってその日常性において直面する状況を、それが自らにおいて現出したものとして受け入れつつも、それを己れの状況に変えることによってそれをのり超えようとする。それが最も通俗的な意味での生の体験であり、人間的生の体験の場合、特にそれを経験と呼んでいるのである。
 フッサールによれば、そう言ったわれわれの日常生活がその都度の生の体験として流れていくにもかかわらず、自明なものとされているのは、あるいはその根拠を問う場合でもその自明さをもたらした主観や客観に頼るのは、結局「超越論的主観性」が浮きぼりにされていないからなのである。
 しかし彼にとっては、この匿名として働く「超越論的主観性」こそがわれわれの日常生活の真の根拠であり、われわれがそれをあきらかにする歩みを続けることが「自由の主体としての人間」の発露と見えたのである。現象学的還元とはそのための方法であり、「事象そのもの」とは「自由の主体としての人間」によって顕現した「超越論的主観性」が主題にされうる場であったのである。

Ⅳ 生活世界から導きだされるもの

 さて、「事象そのもの」の解明が「生の視点」に立ってなされるようになると、われわれはフッサールの後期哲学における重要な概念に遭遇する。即ち「生活世界」の概念である。正直言って、フッサールの「生活世界」の理念については初学者の私には所詮は推測に基づく仮説しか展開できない。
 印象的に語るならば、彼の言う「生活世界」とはチルチルとミチルが遍歴の末に身近に見つけたという幸福の青い鳥のようなものに思える。あるいは、いつでも只で見れるものを、それなら値うちがわからないというので、わざわざ切符を買って見た芝居のようなものに思える。つまり「生活世界」とはわれわれの日常性の中に潜むものなのであるが、それがそのままでは、その値うちが眠ったままであるので、われわれの意図的になされる努力によって本来の姿に顕現させられるべきものなのである。そしてその顕現へのわれわれの努力こそが同時にその世界で生きる証しとなるというのである。
 フッサールの言葉に即して語るとするならば、生活世界とは「人間にいつでも使えるものとして意識されて前に出し与えられている」
(30)主観的相対的なものであるが、そうだからと言って、それは「学的に真の」世界によって替えらえるものではなく、逆にそれを「基礎づける地盤」としてあり、同時にそれをも包括する「固有の普遍的具体」としての存在性をもっていることまであきらかにされねばならないものなのである。(31)
 それではそれはどのような具体的イメージでもって描かれているのであろうか。単なる言葉上の言いかえであるのなら、われわれはこの世界を「事象そのもの」の世界、直接経験の世界、純粋体験の世界、前述語的経験の世界と様々に言いかえることができる。そこにおけるわれわれの経験こそ、「生活世界」における生の核をなしているとフッサールは考えていたのである。
 ここでもまた、われわれが「事象そのもの」を考察した際にあきらかにしたような、超越論的主観性のもつ二つの側面の働きがアナロジー的に考えられてくる。一つは、生活世界が「絶対的所与性」を有しているということであり、二つは、そこにおいてわれわれの経験が「最終根源的な……明証性の領域であるところのドクサの正当化」
(32)をもって実践的に関与されているということである。言うなれば、生活世界が「主観的相対的」であることが、常識的な意味においてではなく、彼の徹底した学的態度に基づいて言いなおされているのである。
 それではフッサールが「生活世界」の概念をもちだしてきたのはいかなる理由に基づくのであろうか。端的にいって、それは彼の哲学における存在論的立場が強調されたからにすぎない。もとより彼の目的が一つの危機意識から「自由の主体としての人間」を復権させることであることはこれまでも一貫している。しかしどちらかと言えば、フッサールが「事象そのもの」への還帰を訴える場合でも、重点は「自由の主体としての人間」に顕現される「超越論的主観性」の能作とその絶対性が保証されるべく論議がすすめられている観が強かった。そうなると、「事象そのもの」が超越論的主観性の構成能作に依存して規定される性格をもつものとされやすくなってき、「事象そのもの」が何であるのかという点についてのあいまい性がでてくる。
 たしかにわれわれは先程まで「事象そのもの」を生の次元でとらえなおすことによって、即ち超越論的主観性が単なる認識論上の「コギト」ではなく、生の体験者でもあることを示唆することによって、われわれが与えられた状況にも依存するという点を指摘してきた。しかしそれでは「事象そのもの」がわれわれによって観念化される以前の生の事実であると言うだけのイメージしか与えられかねなくなる。従って超越論的主観性もまた、その場合にのみ能作し、それ以外は眠ったままであるとする図式性しか生まれてこないのである。依然としてフッサール現象学が主観主義的であり、唯我論的でもあると言われる批判もここらあたりに起因していると言えよう。
 従って、フッサールが「生活世界」の概念をもちだしたのは、「事象そのもの」の発生の依ってきたるところを徹底して見つめた結果であった。部分的に見ると、それはあまりにも純粋になりすぎた、即ち超越論的態度にこだわりすぎたフッサール自身の再反省として受けとることもできよう。しかし他方では、それは現象学的還元の別の成果でもあると言われうるのであり、フッサールは現象学的還元における純粋記述的態度をもう一度ほりおこすことによって「事象そのもの」が自らにおいて現出する、いわば存在の重みと豊饒性とを生活世界という形で再認識しようとしたのである。
 このことはなにも世界を構成する能力としての超越論的主観性を否定することではないのは言われるまでもない。フッサールにあっては、生活世界と言えども「単純に前に出し与えられるものではなく、その基礎となる形成の仕方について問いただされうる形成物である。」
(33)自明的に与えられたものとしての世界を根源的な生活世界へと還帰させるのは超越論的主観性の能作のうちにあるのであるが、この生活世界もまた自明的に与えられたものとしての世界を一つの特殊な世界として認める包括的にして具体的な普遍性をその超越論的主観性によって内包しているのである。
 とはいえ、この「生活世界」の概念はその包括性、普遍性の故に、超越論的主観性の概念を存在論的に拡張させているのは事実である。というのは現象学的還元が無から有を産出するが如き魔法の呪文でない限り、この具体的にして普遍的な生活世界を舞台としてなされる以上、そこにおいて浮きぼりにされてくる超越論的主観性もまた唯我独尊の絶対者ではありえなくなるからである。
 しかしその場合、「生活世界」とは「事象そのもの」の世界あるいは純粋体験の世界であると短絡的に等値させるときに生じやすいわれわれの一つの錯誤に注意せねばならない。なぜならば、そのとき「生活世界」が静態的なものとして抽象化されてしまう危険性が発生するからである。いいかえればそこでは、「事象そのもの」が一種の排除の過程を踏んで浮きぼりにされた「現象」としてしかとらえられかねなくなるのである。
 もとより、この錯誤はフッサールの現象学的還元の考え方に忠実であれば避けられるべきものである。現象学的還元は事象をありのままの事象として受けとる操作である限り、その抽象された部分性においてではなく、そのなまの全体性において受けとる操作であると言われなければならない。即ち事象を顕在的な姿のみならず潜在的な姿をも含めた形のそれとしてとらえることが現象学的還元の違った視点からの、しかも本質的とも言われるべき特性なのである。従って、おかしな表現になるが、フッサールにあっては「事象そのもの」とは顕在的に現出した事象に潜在的地平的に見え隠れする事象が加算された複合物であったのである。
 ここでもちだされたフッサールの「地平性」の概念は「生活世界」と超越論的主観性との関係を最も生き生きとしたものにさせているのは事実である。彼の言葉に従えば、われわれの「目ざめた生」においては「世界はその都度われに対して、『原始的現在』なる核と……その内的外的な地平妥当性を通して自らを現わす」
(34)のである。この場合、超越論的主観性とは様々な「地平性」を見透せる能力であり、その「地平性」を主題化することによって、単に現われ伝えられた世界を己れにとっての世界にしてしまうのである。
 それ故に「生活世界」もまたその世界観におけるわれわれにとって最も近しいものとして考えられる以上、われわれは彼の世界観を生活世界における次のような具体的な説明でもって理解できよう。即ち「生活世界」とは、われわれが現象学的還元を行なうか行わないかを問わず、少なくともわれわれによって出合われる最初に事実であるが、その地平性からして、われ以外の他者をも包括しうる社会性をもち、あるいはその社会性を包括しうる歴史性をもつ包括的具体としてあらわれているということである。そしてわれわれの「目ざめた生」においてこそ超越論的主観性を通してその構図がわれわれに見えてき、それと同時に世界に意味が付与されてくるのである。
 以上の如くに「生活世界」の特徴が浮きぼりにされれば、それと相関的関係にある超越論的主観性が唯我論的に考えられるべき主観性としてあるのではなく、いわゆる超越論的間主観性、言いかえればある意味での社会的特性をもつ主観性としてあることがあきらかになる。だがフッサールが超越論的主観性を超越論的間主観性ないしは超越論的共同主観性へと存在論的に拡張していくときに、それは超越論的主観性の構成能作の視点のみからでは解明されなくなる点は指摘されるべきである。
 超越論的間主観性が考えられるのは、フッサールの言葉で言えば、「生活世界」における「超越論的生」
(35)が舞台の前面にあらわれることによってである。ここでは「超越論的生」は流動的なものであり、過去や未来の直接的な関わりは勿論のこと、それに付随する事象へも関わっていくアプリオリな構造性をもっている。(36)まさにこのアプリオリな構造性の中に超越論的主観性を超越論的間主観性として認識させる能作も含まれていたのである。それと同時に以前フッサールがかくも超克しようとした「自然的態度」において出合われる事象が、われわれに素朴さでもってあらわれないで、この変様した超越論的主観性によって新たな存在妥当性を露呈するものとして積極的に位置づけてあらわれてくるのである。
 たしかにフッサールが「生活世界」の概念をもちだし、その世界における生を第一義的に考えだしてきたのは、一つの野次馬の如き視点から見ると、いろいろな問題をおこしているようにも思える。彼がそのような態度に変更してきたのは彼の超越論的主観性が唯我論的世界しか作らないとの批判に触発されたからでもあろう。しかし彼自身の学的態度から言えば、それは超越論的主観性をより深化させていく過程での必然的な出来ごとなのであり、視点を変えてそれを考察したところの結果にすぎなかった。
 平たく言えばこの態度変更はこれまでの超越論的主観性が「何をなしうるのか」の視点に立って直線的に考えられていたのにすぎないのに対し、今度はその「何かをなしうる」超越論的主観性の存在根拠が、いわばその「ありか」がどこにあるかが探し求められることによって、あきらかにされねばならないとするさらなる徹底化において生じているのである。何のことはない、このプロセスは現象学的還元の徹底化によって生まれてきているのであり、彼は彼自身の哲学に忠実に従って、自分の「哲学」に対しても「現象学的還元」を行った結果、一つの地平妥当性を浮きぼりにしたにすぎなかったのである。
 このことがフッサールによって成功的になされたのかどうかは私には不明である。しかしフッサールが「生活世界」の理論を持ちだすことによって、彼の作った「超越論的主観性」はその生硬さを捨てさり、軟くなって、真の合理主義的抱擁性をもってきたとも言える。即ち彼の超越論的主観性は「自然的態度」を包摂する「生活世界」を認めることによって、その「自然的態度」のもたらす自己忘却性を断罪こそしたが、「自然的態度」そのものの基盤を保証するほどに大きくなってきたのである。
 くりかえしになるが、私はこれもまた彼の一種の自由変更、即ち新たに顕在化された超越論的主観性による記述的思考的態度への再度の自由なる変更のもたらしたものと考えている。
(37)そしてそれは彼の現象学的還元の新たな転機というよりは、深化でしかなかったのである。もとよりそうだからと言って、われわれは彼が「存在論」者になったとは思ってもいないだろう。なぜならば、彼の「世界」観でもあきらかな如く、そこにおける「地平性」の概念はあきらかに一つの認識論上の産物としての意味と性格をもつからである。この点を見ても、われわれは彼がどんなに存在論的態度に傾いたとしても、超越論的態度を自らの哲学の基本とし続けていた証左を見ることができるであろう。

Ⅴ 結語

 以上の論述はフッサール現象学についての私なりの一つの整合的な解釈である。あるいはもはや常識となっている解釈の素描であるかもしれない。それもフッサールの限られた著作からの解釈であるので、それこそ既存の解釈を自明なものとして受け入れて整合性を意図した観のあることを私自身も認めている。
 われわれは、合理論者であれ経験論者であれ、「自由の主体としての人間」であれかしと望む点においてはフッサールと同じである。フッサールの意に反する言い方になるのであるが、彼は合理主義者だった。なぜならば彼は人間が本来的に「自由の主体としての人間」であることを直観しそれを信じて疑わなかったし、「超越論的主観性」が人間的現存在におけるその本来性へと回帰するあるいは露呈するための手だてとして人間に本来的に備わっているものとして考えていたからである。
 だがフッサール程に経験論とは何か、実証主義とは何かを教えるにふさわしい哲学者は他にいないだろう。私にはフッサールが「事象そのもの」への還帰をモチーフとしたことで、これまでの自称経験論者がジェイムズのいう「中途半端な経験論」者であり、且つ自然主義者としての合理論者でもあることを暴露するにこの上もない貢献をしたように思える。と同時にいかなる予断もなく超越論的主観性を導出したことで、これまでの自称合理論者が経験論者の思考パターンの模倣者でもある点を指摘した彼の功績は大きい。
 ただフッサールについてのこれまでのわずかな私の研究から印象的に感じたのは、フッサールと言えども彼なりに「実在性とは何か」について考えていたのではなかったかということである。彼の「現象学的還元」という方法、あるいは現象学的還元という人間の自由への行為といってもよいが、それは「存在する」ということをわれわれの前に「自らを現わすものとして現われる」ということとして位置づけるようにわれわれを方向づけている。
 それは存在するものとは、われわれの関わりがどうであろうと単に超越的に存在しているのだとして受けとめられているのではなく、それのもつ地平性を媒介にして「自由の主体としての人間」たるわれわれの思考的意識によって意志され欲求せられてあるのだとする考え方へと導いている。その意味では、実在とはまさにわれわれに欲求せられてある意志の対象であったわけである。
 もっとも、その観点からすると、フッサールにおいても「存在するもの」は「存在すると思われているもの」だとされる傾向性は依然として避けられないのであるが、私はこの際それを、存在するものはわれわれに対して偶然的なものとしてしかないという風な意味で、あるいは存在の側からいえば厚みをもった多様体としてあるという風な意味で受けとりたいし、独善的に、それがフッサールの現代的意義を見る一つの見方だと思う。即ち存在するものを現象としての可能性の世界に引き戻し、従ってわれわれの経験の領域にとりこみ、自らをものりこえ自己実現を図る「自由の主体としての人間」のみがそれを可能性の一つとして実在化しうるという、そういう人間的生をフッサールは思い浮かべ、それ故に既述の如き「生活世界」なる概念をもちだしてきたのではないだろうか。
 その意味で、われわれにとって存在する一切のものが日常性の中では慣れ親しんでいるように見えるが故に、かえってよそよそしい存在性として受けとられるかもしれないが、しかしそれは「自由の主体としての人間」として目ざめていないからであり、「宗教的回心」
(38)にも似た態度変更によって、それらはその根底的なところでは内的な(intimate)な存在性をもつという事実性をフッサールは洞察していたと思う。
 フッサールはこの事実性を認めたが故に、それを理解することが「自由の主体としての人間」の根源的生の行きつく先であり、そのことを基礎づけるのが哲学者の「人類の公僕」
(39)としての任務であると考えたのではないだろうか。


(1)第一章でも述べたように、フッサールとジェイムズに思想的一致点が見いだされるとするならば、この章では、その一致する部分をフッサールの文献の中から抜き出し、それらについての詳細な吟味をすべきであるのかもしれない。しかし、それらについてはすでに発刊されたいくつかのすぐれた研究書でなされているので(本書ではそれらを随分と参照させていただいた。)むしろ、ここではジェイムズが興味をもちそうな人間のビジョン、即ちフッサールのビジョンをあきらかにするという立場に立って、フッサール現象学を概観させてもらった。本文のところにも記したように、ジェイムズの影響のもとにある私であるから、本書は、ジェイムズがフッサールを描くとしたらこうなるだろうとの思いで論議が展開されていると言えなくもない。本章が、「論理」に対するあまりのアレルギーの故に、不当な評価をしてしまったフッサールに対するジェイムズの弁明とでも受けとっていただければ私の喜びとするところである(フッサーリアンからは生意気だと言われかねないが)。
(2)Husserliana, Bd. VI, p.4
この「事実学」に対応するのが「本質学」であり、これが彼の「現象学」となって展開されたのは周知の事実である。
(3)Husserliana, Bd. V, p.161
(4)Husserliana, Bd. VI, p.4
(5)もとよりこの言葉はフッサールに固有のものではない。私自身、この言葉の使用が本章に適切であるかどうかは不明であるが、少なくとも近代人を示すに市民権を得た言葉であることは間違いないであろう。
(6)Husserliana, Bd. VI, p.4
(7)『危機』書の第一部と第二部が発表されたのは一九三六年、その前年には一般に「ウィーン講演」といわれる『ヨーロッパの人間性の危機と哲学』が発表されている。この頃はナチスが政権を取っており、ユダヤ系のフッサールの生活はまさに危機的状況にあったのである。
(8)Husserliana, Bd. VI, p.314
(9)ibid.,p.4
(10)周知のように、フッサールは人間学については、それが心理学主義である故をもって反対している。しかしあえて彼が人間学を展開しているとするならば、それは「自由の主体としての人間」の学である。即ち「目ざめている主体、常に何らかの仕方で実践的に関心をもった主体」(ibid.,VI,p.145)が問題にされる人間学であろう。ついでながらいえば、それはフンケの言う「人格的人間学」にもあたり、わがジェイムズの場合は方向性は違うが「personal idealism」の考え方にも連なっているとも言えよう。
(11)私見だが、危機の源泉は非合理的なものそのものの中にあり、それが存在の重みとなっているから、フッサールの考える理性であれば、それを解消することはできないのではないかという考え方もなくはない。それ自体、面白いテーマであるが、本章のそれからはずれるのでこれ以上言及しない。
(12)Husserliana, Bd. VI, p.348
(13)ibid.,p.201
もっとも、フッサールは別のところでは現象学が「真の実証主義」であるとも言ってはいる。(Husserliana, Bd. III, p.1,p.45を参照)
(14)ibid.,p.346
(15)ibid.,p.11
(16)ibid.,p.100
(17)厳密に言えば、「エポケー」と「現象学的還元」とは違うのであるが、ここでは一応同じものとみなす。尚、これらの用語及びその違いについては、たとえば新田義弘著『現象学とは何か』(紀伊国屋書店)、第一章、二節を参照。
(18)E.Husserl;Philosophie als strenge Wissenschaft, Logos, Bd, I, p.309
(19)Husserliana, Bd. V, p.160
(20)E.Husserl;Erfahrung und Urteil, Untersuchungen zur Genealogie der Logik, Felix Meiner Verlag,p.42
(21)Husserliana, Bd. VI, p.160
(22)この考え方がフッサールのカント批判の根拠となっている。『危機』書、第三○、三一節を参照。
(23)Husserliana, Bd. VI, p.99
(24)ibid.
(25)ibid.
ここから、フッサール現象学が唯我論的であるともいわれるのである。ところで、ジェイムズの純粋経験論もまた唯我論的であるといわれている。ところがその批判に対しては、両者のユニークな主張にもかかわらず、素朴実在論あるいはアナロジーでもって、ともに反論しているところが面白い。
(26)それでも純粋に記述的な態度がどうして主体的でありうるのか、いいかえれば超越論的主観性が浮きぼりにされることになるのか、なる疑問は解消されないという考え方も避けられないが……。
(27)Husserliana, Bd. II, p.9
(28)厳密さを欠くが、これと同じ意味としてフッサールは文脈に応じて「純粋経験」、「前述語的経験」という言葉を使う。
(29)Husserliana, Bd. VI, p.99
(30)ibid.,p.134
(31)こういう言い方になるのも「学的に真の」世界といわれるものもまた、生活世界の一部になってしまうからであろう。
(32)Erfahrung und Urteil,p.44
(33)ibid.,p.41
(34)Husserliana, Bd. VI, p.165
(35)ibid.,p.179
(36)ジェイムズならば、ここで「アプリオリな」という形容詞は絶対につけないだろう。超越論的生(もしジェイムズが使うとしたならば)はそんな形容詞によって保証されねばならない程、自立性なきものではない筈だからである。因みに、ジェイムズの根本的経験論にとって、あらゆる形でのアプリオリズムはタブーなのである。
(37)ついでながら言えば、再びまた超越論的主観性の能作に視点が向けられるように変更されることもありうると思われる。少なくともジェイムズならばそう言うだろう。(人間的現存在である「自由の主体としての人間」と超越論的主観性とが全く同じでない限りは。)
(38)Husserliana, Bd. VI, p.140
(39)ibid.,p.15

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